園のたより    マンフレード園長



2月1日
 

 今時期の挨拶は「今年の冬は大変ですね」や「雪が多いですね」、特に留萌の事はテレビのニュースで知られているので、


「留萌は吹雪や強風で大変ですね」と言われます。この間、留萌から羽幌に行ったとき、教会のご婦人の方が、「神父様、大


丈夫でしたか?」と。その日は確かに強い風が吹きつける吹雪だったのですが、私の返事は「はい、普通でした。」するとその


方は「普通?」。「はい、この時期のこの道はこれが普通ですよ。風の強さも見通しの悪さも。」と答えました。その方は「神父


様、普通とは何ですか?」と、聞きました。


 この『普通』は、吹雪の道路の状態の事だけではありません。この家族、あの家族、そして自分の家族のことをちょっと考え


てあげて下さい。そのでもたまに、先への道が見えなくなる時がある。何かの風に煽られるような時もある。先へ進むのが怖


いときもある。そして先の道が見えない時、前の車のテールランプが見えると、『それについて行こう』と思う。これも家族の中


の普通の状況ではないでしょうか?ところがテールランプはどんどん先に行く。確かにそこには道がある。疲れたり、もうあき


らめようという気持ちになっても、その小さいテールランプも明かりによって、またいつか道が見える様になる。そのテールラン


プは、私たちの子ども達です。子ども達は先へ先へと進んでいます。子ども達のキラキラと輝いている目、子ども隊の生き生き


としたその存在感は、私たちの先への矢印です。


 ハリール・ジプラーンはこの状態を、自らの作品(「予言者」)の中の予言者に、こう言わせています。[あなたの子どもは、あ


なたのこどもではない 彼らは人生の希望そのもの息子であり 娘である/あなたは彼らに愛を与えてもいいがあなたの 考


えをあたえてはいけない あなたは 彼らのようになろうとしてもいいが 彼らを あなたのようにしようとしてはいけない /何


故なら 人生は後戻りもしなければ 昨日とともにためらいもしないからだ あなたは弓であり 彼らは そのから送り出される


矢である]


 車のテールランプのように、子ども達は私たちにとって、先への希望の印です。子ども達が神さまから私たちに与えられ


る限り、人類の将来への道は、吹雪の中でも「不通」にはなりません。



12月1日

 12月に入りますと、どの新聞、どのテレビ番組、どの店にも、『クリスマス』という言葉や歌、そして品物で溢れてきます。一体


この12月24日、25日のクリスマスは、歴史的な次元〜すなわちキリストの誕生〜というものを乗り越えて、どういう気持ちを呼


び起こすものなのでしょう。実はそれは色々な角度から考える事ができます。クリスマスあたりから、暗い長い夜は、だんだん


と『光』に負けて行きます。日々の光は長く差してくるようになりますキリスト様は「私は世の光」とおっしゃって、暗闇のあるとこ


ろに光がありますように、また聖書によりますと、キリスト様は馬小屋(家畜小屋)で生まれたとされていますが、それは人々


から関心を持たれることなく、居場所のなり、見捨てられた、差別されている人間の居場所や心の状態を意味していて、キリス


ト様は全ての人間の住んでいるところ、また全ての人間の心の状態に希望と光を与えたかったのです。それはこの世の中一


人一人全ては 神様に愛されていて、その存在価値は神からの最高のプレゼントであるという事です。クリスマスはキリスト様


の誕生のお祝い日ですが、それと共に人類が「天地創造主」によって結ばれている家族としてのお祝いの日と言えます。救


い主として赤ちゃんの姿で生まれたキリストは、その親も選ばれた者です。今、自分がいるのは、親があってのことで、親もま


たその子どものために選ばれているのです。その事は、大切にされるべき一人一人の人間の存在は、神の働きかけによる人


人との出会いによるもので、一人の赤ちゃんによって全世界が結ばれているように、自分の子ども達を通して私たちもまた全


世界と繋がっているのです。これは私たちたちの大きな希望と喜びになります。クリスマスおめでとうございます。



6月1日

 5月が6月に変わる頃、子どもも大人も鉛筆かペンか筆を持って、何かこの自然の美しい物を描きたい気


持ちになります。幼稚園の子ども達も自然の中のものを描きたがっています。ところが、どんな美術品であ


っても、また子どもの作品であっても、描かれるものは全て『直線』と『曲線』で構成されています。それは人


間が考えたのではなく、大自然の中のあらゆる物は『直線』と『曲線』から成り立っています。直線は男性的


な印象を、曲線からは女性的な印象を受けます。小さい子どもは、いろいろな形の中で特に、「まるいもの」


を好んで触ります。たとえばお母さんの体を触ることによって子どもが安心する様に、まるいもの、曲線的な


ものは安心感を与えると言われています。ところが「直線」を掴む事によって人には勇気と自信がわいてき


ます。直線は男性的な、父親的な役割であると言われています。自然界でも家庭でもこの直線と曲線の


バランス、調和が、美しさや豊かさをもたらすのだと言えるでしょう。6月の父の日にあたっては、その記念日


がどうやって生まれたかよりも、「お父さん」(男性)の中にある勇気、自信、チャレンジ性、失敗してもあきら


めない強さ、そういう『まっすぐ』さを子ども達が掴み、それを目標に成長出来るように、そして同時にお母さ


んの持つ絶対的な安心感とのバランスのとれた家庭の中で、家族が共に分かち合い、子ども達の心の中に


豊かな世界観が芽生え、美しい世界、そして心豊かな将来へと繋がって行きますように願っています。


                                               マンフレード神父


3月5日

 子ども達が元気に歌う歌のひとつに、「神様といつもいっしょ」という歌があります。


「神様といつもいっしょ・・・ありがとう神様、ありがとう♪」その元気な歌声はまさに、子ども達の気持ちの


表れです。神様といつも一緒にいるという事を確信する事で、子ども達は、これからもずっと、神様が見守


っていて下さると信じています。


 こんな詩があります。ある人が夢の中で、神様と一緒に浜辺を歩いていました。振り返ると砂浜には二


人分の足跡がありました。それは自分の人生の足跡でした。ところが自分の人生の中で辛く苦しかった時


に、足跡は一人のものしか残っていませんでした。その人は神様に「いつも一緒にいてくれると言っていた


のに、どうして足跡は一つしかないのですか?」と尋ねました。神様は「よく見てごらん。それは誰の足跡で


すか?お前のものですか?私のものですか?」「神様、あなたの足跡です。」そして「私の足跡はどこにある


のですか?どうして残ってないのですか?」すると神様は「愛しい息子よ、その時私はあなたを背負っていま


したよ。」と。


 まだ始まったばかりとも言える子ども達の人生ですが、これから先、不安定な世の中、不安定な時代の中に


あっても、確信できる希望、導き、そして耐え忍ぶ力を与えて下さるのは神様だと信じる子ども達の心の中に、


「神様といつもいっしょ」の言葉が刻まれ、先へ先へと希望を持って歩んで行ける様に心から願っています。

                                                       マンフレード神父



1月23日

  3月になりますと、あらゆる教育の関係機関は「卒業」と言う言葉と結びつきます。幼稚園もそうですが、


特に幼稚園は子どもにとって人生最初の「卒業」となります。そしてまた、幼稚園の「卒業」は終わりになる


ものではなく、これからの人生の一番根本になる「社会性」の新しい出発と言えます。子どもの発達過程や


段階(例えば反抗期や思春期など)は、可能性の上でどの子どもにも大体同じように現れ、同じように消


化されて行きます。けれども何十年か先に、一人一人には大きな違いが表れて来ます。その違いは遺伝


的なもの、家庭環境、その子を取り巻く社会環境によるものと、その子ども自身が自分の意思で決めてい


く事によって生じるものがあります。


 ところが人間はそれぞれ、どんな大きな違いがあっても、幼稚園で受けた一つのことが一生の財産にな


る場合があります。それは『自分はありのままで受け容れられた』『褒められた』『認められた』という事、


それは勇気と自信に繋がり、また大勢の友達の中に入る事で、連帯感を発見する事になります。


‘あなたがいるからありがたい”の気持ちが「ありがとう」、善悪を見分け、ゆるす心と許される心を知る事で


「ごめんね」、積極的に生きる自主性のこころから出る「私がします」、そして人々の中で生きているという現


実を、寛大な心で認め受け入れることからは、日本の子ども達にぜひ身に付けて欲しいきれいな言葉「おか


げさまで」、この4つの言葉が卒園する子どもにも、残る子どもにも、私たちの幼稚園にも、そして家庭にも


「道しるべ」となる様に願っています。


                                                  マンフレード神父

 


10月1日
  秋の始まりの行事の一つであるカレー遠足、子ども達は元気に走り回り、いろいろな遊びに挑戦していました。そしてお昼にカレーが届いた時、子ども達は「私たちのジャガイモが入っているよ」「人参も幼稚園の人参だよ」と、≪自分たちが育てた野菜≫が使われていることを誇らしげに話してくれました。カレーの中の野菜、それぞれに切り方も味も形も違っていますが、カレーの鍋の中でスパイスうやルーと共に一緒になった時、そこでそれぞれの香りは消されてしまうのではなく、むしろひとつひとつの野菜の味、香りはより引き出されます。一つの野菜だけが目立っているのではなく、全体が合わさってこそ、lまた個々の味も一層引き立つのです。
 幼稚園おそういう意味でカレーに似ています。子ども達一人一人の個性、性格・・・・みんな違いますが、子ども達の一緒にいる事によって生まれるもの、それはお互いを認めること、相手に関心を持ち、尊敬すること、そしてこの2つの気持ちは相手を受け入れることに繋がり、相手に安心感を与えるものとなります。人間という字は「人と人の間」と書きますが、その「間」がスパイスやルーであり、人が集まり一緒にいる事でお互いを認め、現実を受け入れる事で生まれる≪絆≫です。子ども達が一緒にいる事で生まれる友情や元気さ、そして希望をいう「子どもらしさ」が
いつか平和への道に繋がって行くことを願っています。


                                           マンフレード神父

6月29日


ドイツに帰っても、日本に戻っても、大体最初の挨拶は「お元気ですか?」と言う言葉です。
「元気だよ」という返事があった時、それはどういう意味でしょうか?、
文字通りであれば「元気」と言うと「元(もと)の気持ち」、それは必ずしも「幸せだ」という意味ではありません。
むしろ、「おかげさまで、満足しています。」と受け取れるのではないでしょうか。
 現代の人々、家族そして特に若者の“スケジュール”に入っているのは、大体が「イベント」です。
人々はイベントからイベントへと幸せを探して追いかけているような状況です。
でも、イベントによって本当の幸せは生まれて来るのでしょうか?
イベントはただ一時的なものであって、すぐに通り過ぎるものです。
「幸せ」というものが、心が満たされてすべて受け入れ、とにかく「生まれてきてよかった」と
思える心の状態条件無しでの心の持ち方、それが「幸せ」ではないでしょうか
 幼稚園の運動会、夏祭り、お泊り保育などもイベントのようなものではありますが、
その経験、その場で体感した雰囲気は子ども達にとって消えるものではないはずです。
一人ひとりみんな違う子ども達が、一緒になって作り出す雰囲気、一つの“世界”の中で
感じる絆のようなものによって、子供たちの心に生まれる「ミニ悟り」は、自分の人生の
満足感や、意味のある心の持ち方へとtyながることでしょう。
そして、こういう満足感はイベントからではなく、毎日の心の戦い〜お祈り・親切・我慢〜を
身に付けることにより、人生を受け入れていく準備となって育っていうのではないでしょう
 聖園幼稚園の「聖園」の文字は、子ども達が、神様からいただいた聖なる尊い園(その)で
育まれる様に・・・との意味で、自分の人生を満足出来るための心を養うことを
マニフェスト(教育方針)の一つとしている事を表しています。
自分中心で自分を与えようとしなければ、そこにはいつも“:不満”しか生まれず、
“がっかり”に繋がります
自分を与えることによって自分も生かされる、そこに「満足」が生まれ、
「幸せ」な人生に繋がって行きます。子ども達が、自分の楽しみだけを追いかける『イベント主義』の
人生ではなく、本当の「幸せ」に向かって歩んで行けることを願っています。

                                                             マンフレード神父