今月のお話



  9月   敬老の日 感謝の心をこめて「ありがとう」

希望の源は神にある。喜びの時にも、悲しみの時にも、失意の時にも、思い悩むとき

にも、わたしを支え、導き、励まし、勇気づけてくれる聖句です。

                           ローマの信徒への手紙  15章13節   

  5月1日  お母さんありがとう

北海道の5月と言えば、「緑」だけでなく、まだまだ「白」も残っています。山

の頂(いただき)の残雪の「白」、茶色の田んぼに舞い降りた白鳥の群れの「白」そし

て満開の桜の「白」の美しさはまさに神秘です。私は毎年この時期になると、この3つ

の「白」を見て感じる事があります。ひとつは、それは長く厳しい冬の山の雪を、人生

の『辛さ』や『重荷』に例えたとしても、いつかは溶けて消える、それは"希望"を意味

するという事です。二つめは、白鳥の群れは、弱いものを先に、強いものは後ろからと

いう順番で三角形を作って飛んでいきます。強いものは弱いものの速度に合わせて(幼

稚園ならば年長児は小さい子に歩みを合わせて・・・)見守りながら先へ進むのですが、

これはわたし達の現代社会の中でも大いに学ばなければならない事でしょう。そして3

つめですが、私事ですが、私の父と母は共に桜の時期に亡くなりました。父の訃報を聞

ースで密と、その時の事を思い出します。その時、熊本城の前通りは満開の桜が散る時

期でしたが、まるで北海道の白い雪が降っているような状態でワイパーを使うほどでし

た母が亡くなった時はドイツにいました。お葬式後のお別れの時、その教会の満開の

『ソメイヨシノ』の木の枝を折って、母に捧げました桜は花として咲いている時はもち

ろん美しいですが、散る時には四方八方にその美しさは広がって行きます。そして土の

上に落ちても、桜は桜として存在感と美しさを残しています。人生は、若いときにはそ

れだけて美しく輝いてみえますが、年齢を重ね、枝から離れる時・・・それは人に身体を

委ねなければならなくなってた時もその人の心の美しさ、その人の持つ愛情の深さが、

周りの人を包み込み幸せにするのだと思います。そして人生を全うし、目には見えない

存在になっても、その存在感は桜の花びらのように、いつまでも美しく人々の心の中に

残るのではないでしょうか。自然界の中の桜の一瞬一瞬の美しさを、人々が特別の感情

で受け止めるように、一人一人の人生もまた特別なものとして神様は造って下さったの

だと思います。                        マンフレード神父

  2月28日  卒園を迎えて


 3月を迎え、やっと雪解けが始まると思っても、実際にはこれからどういう天気にな


るのか、ちゃんと心の備えをしておかなければなりません

さて、あらゆる場面での『卒業』、幼稚園の卒園であったり、学校などの卒業であった


り、また、社会での転職、退職などありますが、『卒業』にあたって、今までの学び、


経験がある意味これからの人生、次のステージの心の備えとなっているのだと思いま


す。幼稚園の子ども達も、この時期、これから先への不安な気持ちがあるにちがいあり


ません。そのために私たちは「おめでとう」の中に‘これからも出来るよ’‘勇気をも


って挑戦してみよう’‘そして"家族も園も世界もあなたを必要としているよ’という


祝福で勇気づけて送り出してあげたいのです。ところが、最後の励ましのことば"あな


たを必要としている"事には関しては、今の時代の人々にはピンと来ないところがある


様です。「何のために生きる」それは子どもであっても若者であっても年寄りであって


も、毎日の心の探究のテーマのはずです。幼稚園の子ども達には、キリスト教的な人間


観、すなわち、この「何のため」に対する探求心と希望を身につけてもらいたいと願っ


ています。でもそれは幼稚園の時だけではなく、人生一生私たちはお互いに励ましあ


い、不安定と迷いの中にあっても、「あなたに会えて良かった」「あなたは私(私達)


にとって必要な方です」というこの小さい言葉が、大きな励ましとなる事を心から祈っ


ています。励ましてあげる事によって、私たちもまた「励まされる」プレゼントをいた


だいているのです。                      マンフレード神父