『天に命を懸けて』                                         溝部 脩 名誉司教


 
 「殉教者・高山右近というのが今回の列福の最大の焦点になっています。すなわち一気に死にされされた殉教ではなく、自分の意に反してゆっくりとキリストのために長く死んでいく、この人の生涯を追うことで現代を生きている私たちも日々起こる出来事を受け止めて死んでいく、こういうメッセージを今回の列福は持っています。
 1964年に正式な列福調査委員会が発足し大阪の田口大司教(当時司教)を中心に動きましたが、田口大司教が帰天され運動が下火になります。しかし、20008年に188人の列福が終わった段階で、もう一度日本の教会は高山右近の列福を殉教者として進めることとし、最初の基礎資料をもういちど読み直して、必要なところは残し、不必要な箇所は削除していくという作業を何度も繰り返しました。そして出来上がったのがローマから出た正式な伝記です。
 高山右近の生涯を見ていきますと、いろいろな大きな出来事を通して人生の転機を迎えています。
 1953年に高山一族は洗礼を受けています。しかし、20歳前後になるまえ高山右近はあまりキリスト教に触れていません。普通の戦国武将の息子としてそれなりの夢と野望を持っていた少年でした。そんな生き方を根本的に変える事件が起こります。それを和田惟長(わたこれなが)事件と申します。
 和田惟長の父は和田惟政(これまさ)といい、高山一族にとっては恩人(主君)です。また、教会にとっても大切な人で、織田信長との仲介役となってくれました。しかし、その息子の惟長は、高山一族をうとましく思っていました。人望が厚かったことへの嫉妬もあったでしょう。右近と惟長が斬り合いをすることになり、その結果、和田惟長は亡くなり、高山右近も肩に傷を負い、床に臥しました。これが最初の回心と言われます。主君を殺してしまった負い目があったと思います。
 ちょうど教会も大きく変わる頃でした。キリスト教そのものを伝えなくてはいけないという機運が起こってまいります。その立役者がフランシスコ・カブラル神父です。彼は、キリストがこの世界に体をもって生まれたこと、キリストが人々のために尽くしたこと、特に弱い人、貧しい人のために生きたこと、自分を捧げて十字架で死んだこと、復活したこと、これらを基本としてキリスト教を伝えていきます。
 これらに心酔して聞いていたのが高山右近でした。20歳代のはじめに彼は変わっていきます。キリスト教という新鮮な息吹きを通しながら、自分の罪の意識から解放されていく、キリストに憧れていく、そんな生き方に変わっていきます。
 ちょうどこの頃、千利休と茶が武将たちに流行ります。千利休の茶は、時代の先端をいく茶でもあったのです。若き高山右近は、織田信長を中心とした新しい時代への息吹を感じ取り、新鮮なキリスト教の息吹きを感じ取っていく、まっすぐにキリスト教の神髄に触れる、こんな青年のあり方を示していると思います。
 高山右近の殉教は特別な意味があります。すなわち「死なずに生きる」という殉教です。現代日本でも、世界でも、死なずに信仰のために苦しまねばならない人がたくさんいます。その人たちは喜んで自分の人生に与えられたものを背負って生きる、これが高山右近が与えた殉教の意味です。」